合理的と論理的は違う
特に未来予測を含んだ判断の場合、混同しないよう注意が必要
判断のデータとしてつかえる確率情報は、「パラメータの限定された客観的に確率測定可能な事象」の範囲のみ
それ以外の未来予測は、論理性はない
なぜなら、以下のようなことは「確率では事前に予測できない」範囲だから
人の認識や判断は確率で扱えるほど統計度が確保できない
人の認識が作用した結果として、想定していない事象で状況が一変すること
人の認識が作用した結果として、想定していることが本当に想定通りに展開するのか
事象が発生した後のさらに先の展開も、人に認識が作用した結果どうなるか
未来予測にそういった人の認識に依存する事象も含める場合は、
未来予測に関する「合理的な判断」というのは「そもそも不可能」なものだと認識した方が無難である
あくまで、「個人の経験もしくは人為的ルールに基づいて導き出された未来予測を「前提とした」論理的判断」※という言い方になる
また、
「幸せになるための行動」のような、
人の認識に依存する対象も合理的判断の範囲外
前述の通り、人の認識※は確率予測の範囲外だから
※
①個人の価値観に基づくメリット/デメリットをどう認識するか
②未来の不確定性をどう認識するか
①と②を前提として論理的に考えることは可能だが、合理性は出しようがないのでそういうものを求めること自体が「間違った問い」になる
コメント